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制作日記的な挑戦の記録
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8歳(小2)のころから、犬を飼い始めた。


雑種のメスの小型犬で、全身茶色で、見た目は柴犬の顔をもうちょっとしゅっとさせた感じ。

名前はチビ介。(メスだけど)

通称チビ。


朝と夕方、犬の散歩をした。


雨が降ってチビが外に出たがらなかったり、高学年になって部活があるときなどは行けなかったけれど、19歳(高専4年)くらいまでは、基本的に毎日ずっと散歩に行った。


かれこれ10年以上、続けていたわけだ。


そんなふうに書くと、そこでチビは死んでしまったと思われるかもしれないけれどそんなことはなく、彼女は13~4歳くらいまで長生きをした。



僕が19歳のとき、散歩に行けなくなる事件が起きたのだ。

というか、僕がやらかしてしまったのだ。






当時、僕は買って間もないノートパソコンに入れたゲームに夢中になっていた。


別に大作でもなんでもなく、RPGツクールに入っていたサンプルゲームなんだけど。

シンプルであったがゆえに、ハマってしまった。

何種類か短めのゲームがあって、それらをひとつずつ進めていた。



その日は、5月の連休の中日だった。


連休ということで、僕は前日の夜中から徹夜でゲームをしていた。

変な中毒性があって、途中でやめるにやめられない状態だったのだ。


そして気づけば朝の10時になっていた。


朝の散歩に行ってなかった。


初めて、さぼってしまったのだ。



それまで11年間、テキトーにショートカットして散歩を済ますことはあっても、さぼったことは一度もなかった。


それが、徹夜でゲームという最低の理由で、あっさりとさぼってしまったのだ。


そのときは、あ、忘れてた、くらいにしか思わなかったけれど、異変は次の日から表れた。



なぜか、朝の散歩に行けないのだ。


よくわからないけど、なんか、行けないのだ。

めんどくさいなーと思うのはこれまで通りなのだが、なぜか体が動かなくなっているのだ。


さぼった次の日は、さすがに行かねばまずいと思って、それはもう無理やり家を出た。

けれど、その次の日はまたさぼった気がする。


いったん散歩に出ちゃえば、どうってことないのだけれど、その散歩に行くまでの心理的障壁が、ものすごく大きくなってしまっていた。


初めてさぼったその日以降、ちょいちょい散歩をさぼるようになってしまった。

というか、さぼることができるようになってしまったのだった。





さて、僕にとって犬の散歩は、習慣だったのだろうか。


普通に考えたら、10年も続けていたら、習慣化していると言えるだろう。

しかし、僕にとっての散歩はどうだったのだろうか。



犬の散歩は、めんどくさかった。

できれば行きたくないなと思っていた。

でも、行かなければいけないものだから、行っていた。


これは義務だったのだと、今にしてみればそう思う。


行かねばならないから行くのであって、行かないという選択肢がなかった。

それが、一度さぼってしまったことで、「行かない」選択肢が生まれてしまった。

そのため、朝になって犬の散歩に行く時間になると、まず行くか行かないかという選択を、無
意識のうちにすることになる。

感情ではめんどくさい、ねむい、寒いから、行きたくない、だから行かない、という選択をしたい。

けれど義務として、行かねばならない。


ここで葛藤が生まれる。

行くと行かないの力が拮抗すると、それらは相殺され、自分を動かすのに必要な行動のベクトルが失われる。

よって、動けなくなる。

動くためには、ものすごーく大きな意志の力・エネルギーが必要になる。

たった1日さぼったくらいで、10年以上続けてきたことが続けられなくなってしまった。


僕にとっての犬の散歩は、その程度だったということだろう。

というか、ねばならぬという義務だけで動いていると、そうなってしまうのではないか。


ちなみに、チビのことは好きだったけれど、チビからは確実に下に見られていた。

いたしかたない。




今月に入ってから、意識的にまた絵を描くようになって、継続することについて考えていたので、このようなエピソードを思い出したのだった。


習慣について、おもしろい記事があった。


身に付けたい「7つの良い習慣」とそれを「習慣付ける方法」


記事の最後のほうで、習慣化を実現するための4つのTIPSが紹介されている。
TIPSその1:習慣は少しずつ取り入れる

TIPSその2:小さな邪魔を取り除く

TIPSその3:人に見せるために記録する

TIPSその4:できたことに意識を向ける

(詳しい内容は上記リンク先を参照)
絵について、この助言(TIPS)を頼りに、習慣化を目指していこうと思う所存。


※なぜそれを目指すのかとかいう目的についての話は、また別の機会に





チビの散歩は、僕にとっての習慣だったのかどうかは、正直よくわからない。

習慣ではないと言えばそうかもしれないし、あれはあれで習慣だったといえばそうとも言える。


ただ言えるのは、習慣だろうがなんだろうが、続けてきたその事実、その記憶、その経験、その効果、それらは自分の財産になっているということ。

今の自分を形作っている要素になっているということ。



継続していたことに、後悔はない。



ただ、どうせならもうちょっと意識的に取り組んでもよかったかなとは思う。



これからのことは、そうしようと思う。

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