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制作日記的な挑戦の記録
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こんにちわ!

どうもごぶさたしております!

いやー、気づけばもう8月ですね。


いやー、毎月月頭には、「気づけばもう○○月ですね」という書き出しで記事を書いてしまいます。


さてさて、ネットを制限してた最近、いろんなことを考えていました。

考えて、考えて、考えすぎて、結局なんも動いてません。


相変わらずですね!


もうこうなっては、

 ・考えなければ動けない

 ・考えすぎても動けない

という仕様であることを認めるしかないわけで。


で、じゃあ何を考えていたのかというと、主に「自分」のことですね。

今ならきっと、「「自分」とはなにか」というテーマで論文を上梓できそうなくらい、思索は深まっております。


実は数日前に、まさにそんなような内容の記事を書こうとしていました。

だんだん果てしなくなってきて収拾つかなくなってきたので、とりあえず非公開保存しておきましたけど。


その果てしなき自己分析ですが、最強の一言で、一瞬にして無価値となってしまいました。


「で?」


そうです!

いくら自己分析を重ねたところで、だからどうした!って話なんです。

ていうか、自分が書きたいことをただ書いているだけで、それを読まされる側のことは一切考えていなかったのです。


いや、ちょっとは考えていました。

それを読んで、自分という人間はどう思われるか、と。

つまり、想定読者を通してさらに自分を見ていたわけですな!


どんだけ自分好きなんだよ!


ああそうさ!わしは自分だいすきさ!わるいか!



と、開き直りつつ、どうしてこんなにも「自分」にこだわるのか。



結論としては、「自分」がないんです。

欠落しているんです。

だから、「自分」がほしいんです。

つくりたいんです。

こだわるんです。

考えちゃうんです。




物語の主人公は、自分の欠落したナニカを求めて、敵と戦います。


それに当てはめて考えると、

  私むうむうは、「自分」が欠落している。

  だから、「自分」を取り戻すため、行動する。


ここで問題が生まれます。

目的のものが「自分」だと、対立する敵(障害)が存在しえないのです。


つまり、

「自分」という内的なものを求めている限り、
対立する敵が現れないので、
(人生が)おもしろくならない!




中心は「無」であり、そのまわりをぐるぐる回っている、まさにスパイラル!


気づけば上京してからの半生をつづってきたこのブログ、「スパイラルなブログ」というタイトルは、我が人生がスパイラルであることを、図らずも物語っていたのです!


なんてこった。



私はもう、30年と4ヶ月近くも生きました。

そしてもうじき、入籍して1年が経とうとしています。



どうなの、自分?

どげんかせんといかんですよ。


安易な結論を出すつもりはないですが、とりあえずは、

「できることにフォーカスする」ことにします。

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