制作日記的な挑戦の記録
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長文乱文要注意。
思いついたまま。
思いついたまま。
なんかもうひどいですね。
このブログの放置っぷりはかわいそうです。
あ、どうもこんばんわ。おひさしぶりです。
そもそも自分の軸がブレブレなのがいけないのです。
やろうと決めたことをやり続けられない、やり遂げられない。
自分のしたこと、発言や思考を振り返らない、だから学べない。
その時その時の気分で物事を判断する、やることを決める。
そんなふうにぶれちゃうのは、目指す先が見えてないからです。
見えてないから決めあぐねて欲求に身をゆだねて不安に包まれなすべきことに集中できず三日どころか一日坊主で終わってしまう。
何かしようとするだけよくて、だいたいは、何かしなきゃ~と思いながらネットサーフィンで時間をつぶして眠くなって一日が終わるという。
あーもー、だめすぎるぞ自分!
そもそものさらにそもそも、自己定義があいまいなんです。
だいたい自分の名前はなんなの?
むうむうなのか藤川さくらなのか藤川Sなのか。
一人称は僕なのか俺なのか私なのかあたしなのか。迷っているからとりあえずの自分なんです。
自分は何をしてきた人なのか(経歴)
何ができる人なのか(能力)
何を考えている人なのか(価値観)
これにずばっと答えられないということは、自分の中の基準があいまいなため、自分にまつわるあれやこれやがいちいち決められない。
結果ぶれぶれって話でさ。
つい最近、小説家志望の友人と語る機会があって、そこで、「書きたいけど書けない悩み」をどうするかということについて議論した。
彼曰く、「なんで書くのかという動機をはっきり認識したほうがいい」とのこと。
自分はそのへんあいまいに過ごしてきたと思う。
前に、自分のこと考えすぎてるからだめなんだ、という日記を書いたけれど、今は逆に、
自分のことを一度徹底的に考えたほうがいいのではないかと思ってきた。
たとえば自分はこの先どうなりたいかとか、大事です。
そのための行動、うん大事です。
でも、先のことを考えて、今これやってていいの?って不安がって、
自分で自分のやってること否定してしまうのは、いかがなものか
もっと大きなことをすべきなんじゃないか、こんなことやってて意味ないんじゃないか、
思ってしまう
それよりもこっちのをやるべきなんじゃないか
焦りと、不安、そして選ばなかったことが、自分の成功の足を引っ張る
逆に、選らんでそれに集中し、なにかしら成し遂げた経験は、財産になるし、経験値というサンプルにもなるし、自信につながる、自分をかたちつくっていく
こんな誰が見てるかわかんないようなブログ、やる意味あるのか、もっと集客を考えて、PV稼げるようにブログを運営できるようにしなければいけないのではないか、ただ自分が書きたい日記なんかなんの意味も価値もなくって、人が読みたくなるように価値を与えるように書かないとだめだ、そしたらこんな中途半端じゃだめで、こんなテキトーな形容詞でごまかしてる文章じゃ全然描写できてない、とかなんとか
なんのためにブログを書くのか。
それは俺が書きたいから書くんだ。
それでいいだろう。
自分は日記の延長で始めたブログなわけです。
その日その時その瞬間、「あ」と思ったこと、心が振れたこと、
それを表現する手段として、僕には「書く」ことが一番やりやすかった。
ほんとは絵も描ければよかったんだけど、好きすぎて憧れの域に達してしまってて、もはやおいそれと気軽に描けるようなものではなかった。
だから、どこかで「書く」ことは「描く」ことの逃避のような気もしてて、引け目をかんじていたというか、あまり「書く」ことに真剣になろうとしていなかった。
自分のことを振り返ろうと思い、過去のブログを読み返していたんだけど、
考えてること、そんな悪くないじゃんなんて思ってみたり(笑)
今に通じている大事な思考の核、みたいなものも、たしかにそこにある
非公開記事も実はいっぱいあって、読み返したら、なんで公開しないの、もったいないっておもってしまった。
その時思ったこと、感じた気持ちっていうのは、一瞬のエネルギーの高まりみたいなもので、その瞬間を過ぎてしまえば、失われてしまうもの。
どんなかたちであれ、それを表現しておくことは、とても意義のあることではないかと思ったのだ。
未だ自分のこともこの先のこともあいまいなままであるけれど、積み重なった過去の自分は、「今を書け」と言ってくるので、書きなぐったしだいであります。
このブログの放置っぷりはかわいそうです。
あ、どうもこんばんわ。おひさしぶりです。
そもそも自分の軸がブレブレなのがいけないのです。
やろうと決めたことをやり続けられない、やり遂げられない。
自分のしたこと、発言や思考を振り返らない、だから学べない。
その時その時の気分で物事を判断する、やることを決める。
そんなふうにぶれちゃうのは、目指す先が見えてないからです。
見えてないから決めあぐねて欲求に身をゆだねて不安に包まれなすべきことに集中できず三日どころか一日坊主で終わってしまう。
何かしようとするだけよくて、だいたいは、何かしなきゃ~と思いながらネットサーフィンで時間をつぶして眠くなって一日が終わるという。
あーもー、だめすぎるぞ自分!
そもそものさらにそもそも、自己定義があいまいなんです。
だいたい自分の名前はなんなの?
むうむうなのか藤川さくらなのか藤川Sなのか。
一人称は僕なのか俺なのか私なのかあたしなのか。迷っているからとりあえずの自分なんです。
自分は何をしてきた人なのか(経歴)
何ができる人なのか(能力)
何を考えている人なのか(価値観)
これにずばっと答えられないということは、自分の中の基準があいまいなため、自分にまつわるあれやこれやがいちいち決められない。
結果ぶれぶれって話でさ。
つい最近、小説家志望の友人と語る機会があって、そこで、「書きたいけど書けない悩み」をどうするかということについて議論した。
彼曰く、「なんで書くのかという動機をはっきり認識したほうがいい」とのこと。
自分はそのへんあいまいに過ごしてきたと思う。
前に、自分のこと考えすぎてるからだめなんだ、という日記を書いたけれど、今は逆に、
自分のことを一度徹底的に考えたほうがいいのではないかと思ってきた。
たとえば自分はこの先どうなりたいかとか、大事です。
そのための行動、うん大事です。
でも、先のことを考えて、今これやってていいの?って不安がって、
自分で自分のやってること否定してしまうのは、いかがなものか
もっと大きなことをすべきなんじゃないか、こんなことやってて意味ないんじゃないか、
思ってしまう
それよりもこっちのをやるべきなんじゃないか
焦りと、不安、そして選ばなかったことが、自分の成功の足を引っ張る
逆に、選らんでそれに集中し、なにかしら成し遂げた経験は、財産になるし、経験値というサンプルにもなるし、自信につながる、自分をかたちつくっていく
こんな誰が見てるかわかんないようなブログ、やる意味あるのか、もっと集客を考えて、PV稼げるようにブログを運営できるようにしなければいけないのではないか、ただ自分が書きたい日記なんかなんの意味も価値もなくって、人が読みたくなるように価値を与えるように書かないとだめだ、そしたらこんな中途半端じゃだめで、こんなテキトーな形容詞でごまかしてる文章じゃ全然描写できてない、とかなんとか
なんのためにブログを書くのか。
それは俺が書きたいから書くんだ。
それでいいだろう。
自分は日記の延長で始めたブログなわけです。
その日その時その瞬間、「あ」と思ったこと、心が振れたこと、
それを表現する手段として、僕には「書く」ことが一番やりやすかった。
ほんとは絵も描ければよかったんだけど、好きすぎて憧れの域に達してしまってて、もはやおいそれと気軽に描けるようなものではなかった。
だから、どこかで「書く」ことは「描く」ことの逃避のような気もしてて、引け目をかんじていたというか、あまり「書く」ことに真剣になろうとしていなかった。
自分のことを振り返ろうと思い、過去のブログを読み返していたんだけど、
考えてること、そんな悪くないじゃんなんて思ってみたり(笑)
今に通じている大事な思考の核、みたいなものも、たしかにそこにある
非公開記事も実はいっぱいあって、読み返したら、なんで公開しないの、もったいないっておもってしまった。
その時思ったこと、感じた気持ちっていうのは、一瞬のエネルギーの高まりみたいなもので、その瞬間を過ぎてしまえば、失われてしまうもの。
どんなかたちであれ、それを表現しておくことは、とても意義のあることではないかと思ったのだ。
未だ自分のこともこの先のこともあいまいなままであるけれど、積み重なった過去の自分は、「今を書け」と言ってくるので、書きなぐったしだいであります。
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